目の前の子供の成長を楽しみ、慈しめる大人が少なくなったように思う。子供を社会的弱者として保護の対象としたり、あるいは逆に搾取の対象としたりして、子供の居場所というものは減っていっているのではないだろうか。
今日、家の前に一人の小さな男の子がうずくまっていた。いたずらでもしていたのかと思い、「そこで何をしているんだ。」と脅かすように声を掛けた。次の瞬間、私はそれを後悔した。その子はとても悲しそうに下を向き、「ごめんなさい。」とだけ呟いた。
18時過ぎ頃のことだった。その少年はおそらく10歳に満たないかそれくらいの齢だったと思う。学校はとっくに終わっているはずである。それにも関わらず、保護者や、または友達と一緒にいるわけでもなく、一人で私達の家の前にうずくまっていた。
学校で嫌なことがあったのだろうか。それとも友達と遊んでいて喧嘩したのだろうか。いずれにしても、そこに立ちすくんでいた少年は、自分の家へ真っ直ぐに帰ることができなかったのだろう。そこに居場所があれば、何があっても真っ直ぐにそこへ帰ることができたはずである。
その時は私もそこまで考えが至らなかったし、風邪を引いていてうつしたくもなかったので、「いいから早く行きな。」とだけ言って追い払った。それから真っ直ぐに家へ帰ることができていればいいのだが、こういう時に近くの大人の誰かが話を聞いてあげることができれば、またそのような居場所でもあれば、あの少年も一人で他人の家の前に立ちすくむこともなかっただろう。
しかしながら、この時の近くの大人とは、まさに私であったのかもしれない。なんとも間の悪いというか、いや、風邪を引いていたというのも結局、言い訳にしかならないのだろうか。そうは言っても、自分の家の前に佇んでいたからといって、気安く話を聞いてあげることもなかなか難しいのが、世の風潮ではないか。あの少年の悲しそうな顔を前にして、何もしてあげられなかったのが、なんともやるせない思いである。
目の前で子供が悲しそうな顔をしていたら、自分のことを脇に置いても話を聞いてあげるのが大人の務めではないか。肝心な時に風邪を引いていることを言い訳にした私が説得力を持たないのは承知の上であるが、大人が子供に注ぐ愛情とは、本来そのようにあるのが筋ではないのだろうか。

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