将棋大会

掌編小説

あれはまだ私が穢れを知らず、青春時代を謳歌するともない前の、ほろ苦い思い出だ。幼少の頃から私は一人で本を読んだり、ピアノを弾いたりするのが楽しかった。小学校一年生から三年生までは、特に打ち込んでいたのが将棋だった。

ある日のこと、私は地元の将棋大会に参加した。初めての将棋大会に緊張しながらも、受付に向かった。女流棋士の方だっただろうか。美しい着物を着たお姉さんが、優しく会場を案内してくれた。大勢の少年少女がいるなかで、一人の少年が目に入った。端正な顔立ちをしている少年だった。目が大きく鋭い眼光を放ち、ひと際強者のオーラをまとっていた。私の一回戦の相手は彼だった。

私達は会場内の指定された席に着いた。彼は無言だった。私は重苦しい雰囲気を軽くしようと、今思えば、軽口を叩いてしまったのかもしれない。その眼光はもちろん、対局への気合だったのだが。

「君、強そうだね。僕は今日、将棋大会に参加するの初めてなんだ。最初の相手が男の子でよかったよ。話すのも緊張しちゃうしさ。」

私がそう言い終えた途端、彼の眼光はさらに鋭くなり、私を射るように見つめた。私は思わず、口をつぐんでしまった。そのとき、あれはなんとも絶妙なタイミングだった。

「それでは、始めてください。」大会の責任者らしきおじさんが、対局の開始を告げた。振り駒の結果、先手は私だった。将棋の対局では、奇数枚の駒を盤上から取り上げて、両手でふるって盤上に落としたときに、何枚の駒が表で、裏なのか。その出た枚数で手番を決める。

私にとっては、幸先のよいスタートだったのかもしれない。だが、彼の眼光の前に晒された私には最早、関係がなかった。初手を指した私の手は震えていた。飛車先の歩を突くだけでやっとだった。すると間髪入れずに少年は自分の手番を指した。角道を開ける手だった。彼は振り飛車党だった。私はなんとか相手に飛車と角を使わせまいと頑張った。飛車と角は大駒と呼ばれ、攻めの要となる駒である。しかし、彼は私のそうした試みに対して、冷静に対処していた。私は対処されすぎていた。読みの深さが圧倒的に違っていた。彼の顔は真剣そのものだった。私は自分が場違いなのではと思わざるを得なかった。どこかその真剣さが、私にはとても美しく思えた。

彼はすべてを見通しているかのようだった。その美顔に微笑をまといながら、彼が放った手は5一銀。私の攻めが途絶え、相手の攻めが決まった瞬間だった。

「負けました。」私はうつむきながら宣言した。するとその少年は静かに口を開いた。

「ありがとうございました。」

彼は勝ち誇ったような雰囲気を隠しきれていなかった。それだけ言い残すと、席を離れた。私は面食らった。将棋では対局後に感想戦という、対局の反省会をするのが習わしだったからだ。私は茫然としたまま、一人で駒を片付けようとすると、彼が戻ってきた。

「感想戦しようか。」ボソッと呟くと、彼は駒を動かし始めた。私は初級者だったので、棋譜の再生が上手ではなかった。彼にその旨を伝えると、駒を動かしながら、私の手のどこが良くなかったのかを教えてくれた。

「ありがとうございました。」私は改めて、お礼を告げた。彼は軽く会釈すると、そのまま次の対局へ向かってしまった。あまりの素っ気なさというか、唐突さに若干驚きながら、私は一人で駒を片付けようとした。そのとき会場を見回っていた一人の棋士の先生らしき人が声をかけてきた。

「彼女、強かったでしょ?」

私は再び面喰ってしまった。しかし、そのときすべてを理解した。

「彼女、女の子だったのですね。」

私は力なく呟いた。そう言いながら、次の対局を待ちかまえて椅子に腰かけている彼女を見た。その真剣さはやはり気迫に満ちており、すでに一勝したからか、彼女はより輝いているように見えた。その輝きは先ほどとはどこか異なるように、私の目には映っていた。

「今日は負けちゃったけど、また次の大会もあるから。頑張ってね。」棋士の先生は私をなだめようとしていた。

私は無言で駒を片付け終えると、その場を後にした。

あれから長い年月を経た。私は今日、彼女から指導対局を受けていた。彼女は言った。

「いや、この手はないわ。」そう言いながら、彼女は私が打った歩を盤上から取り除いた。

「やり直して。もっといい手があるから。」

何年経っても、勝てないことはある。それでも指し続ける。それが人生というものだ。

コメント