その日の朝は、とてもいい天気だった。目が覚めると裏庭で一服するのが僕の日課だった。家はちょっとした林に囲まれており、裏庭からその林の澄んだ空気を感じることができた。清涼な空気のなかでわざわざ煙を吸うのもおかしな話かもしれないが、家の中や、街中で吸うときと比べて味が異なるのだ。
いつものように裏庭に回ろうとすると、クモの糸に絡まれた。昔の人は朝のクモを見ると縁起がいいと言った。糸を払いながら自らにそう言い聞かせてやり過ごそうとした。しかし糸ばかりで肝心のクモはどこにもいなかった。僕は少しイラついた。嫌なことばかりが続いていて、迷信のいう幸運にすがりたいところがあったのかもしれない。
クモの糸を払い終わると、裏庭に出た。一服しようと煙草を取り出してライターの火を近づけた。途端に、風が吹いてきた。林がざわざわと木々の葉をこすらせて音を立てた。耳を澄ませてみた。その音は聞くたびに印象が異なるからだ。人を追い立てるような不穏な音だったり、包み込むような柔和な音だったりする。僕の気分によるのだろうか。今回はどのように聞こえるのか……。それは何かを語りかけるかのような音であり、警告のようにも、励ましのようにも聞こえた。僕をその場から追い出すかのようなざわめきと、ただそこにいられるような静けさが同居していた。
火のついていない煙草を咥えたまま、しばらく佇んでじっと耳を傾けた。するとカラスの鳴き声が聞こえてきた。空を飛びながら地面に落とす陰が僕に迫ってきた。嫌な予感がして、その陰の行く手を避けた。場所が少しずれただけで、日光がよく当たるようになった。眩しかった。日よけの代わりに手をかざすと、風が止んでいることに気づいた。
僕は口に咥えたままの煙草を手に取った。なぜだか吸う気が失せた。吸うと何かが崩れる気がした。その煙草をゴミ箱に捨てると、家の中に戻った。

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