先人に対する批評を否定するわけではないが、批評という営みは、本来時間の流れとともに若い世代へ受け継がれていくものではないか。これはつまり、批評を求めるならば、それと向き合う作品もまた、同じ様に若い世代が生み出していかなければならないということだ。
批評という営みは、それと向き合う作品の何が良くて、何が良くないのかというだけでなく、個々が作品に対して何をどう感じるのか、また感じないのかを明らかにし、またそうしないことをも含むと思う。
批評の死が問題になるのは、こうした営みが単に作品を作る際に、その手法の蓄積を為すからだけに留まらず、個々が何をどのように感じ、また感じないのかということを、言語化する助けになるからではないか。
このことは様々な利害関係が複雑に絡み合う現代の情報社会において、特に重要なことであるように思う。批評という行為を通して鍛えられる言語化という技術は、あらゆる文脈が複雑に絡み合う社会を読み解くのに、特に必要な技術と言える。
つまるところ、批評という行為は先人によって蓄積された、創作に対する意識であり、知識であると言える。だからこそ、批評という営みは時間の流れとともに若い世代が受け継いでいかなければならないし、またそうでなければ、批評を為す意味がそもそもないのではないだろうか。

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