性欲や食欲と言った生理的欲求は、人が命を繋ぐ為に必要な欲求だろう。それは自分の身体単独では成立しない、他者を必要とする欲求だ。一方で生きたいと望む生存への欲求は生理的欲求と同義だろうか。生存への欲求とは、死にたくない、あくまでもそこに居たいと望む欲求のことといえるのではないか。「そこ」とは自分の望む任意の場である。それが自分の身体の場所と一致すれば健全だが、常に完全に一致することはなく、一致するように尽力する。これが即ち生きるということであり、生存への欲求が促すものといえるのではないか。この点において、生存への欲求は必ずしも生理的欲求を含意するものではない。むしろいかにして他者を必要とする生理的欲求を満たすのか、に関わるものといえる。たとえば自らがどのような職業で金銭を得て、どのように暮らしていくのか。生存への欲求は生理的欲求を満たすため、いかに生きるかを問う。生存への欲求は生理的欲求を含意しないとはつまり、両者を満たすものがそれぞれ異なるということだ。生理的欲求を満たすものは物質的であり、生存への欲求はその生理的欲求を満たす物質の得られ方を求めるといえる。生存への欲求は生理的欲求を満たすためだけにあるのかといえば、そうではない。生存への欲求は冒頭に書いた通り、自分の望む任意の場に居ることを求める。そのために尽力することが生きるということだ。そのために尽力するとは、自らの望む場を模索し、赴いたり、また今居る場を整えたりすることだ。それは引越しや模様替えといった場所を整えることのみならず、転職や趣味、人間関係の選択といったことなどについてもいえることではないだろうか。一方でこれも先述した通り、自らの身を置く場所が常に自らの望む場であることはない。自らの望む場がどうしても得られない時、つまりは生存への欲求が満たされない時、人は無理にでも生理的欲求を満たそうとしたり、あるいは自死を選んだりしてしまうのではないか。人は生きる上で物質的なものを求める生理的欲求のみならず、それらを満たすことにおいて重要である、生存への欲求の両者を必要とするのではないか。生理的欲求が強まる時、それは生存への欲求が充分に満たされていないことを示すのではないだろうか。
生理的欲求と生存への欲求
存在・意味・時間・死生観
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