痛みもまた、人生の一興となることがある。それは、そんな痛みを抱えた自分を許せた後だ。そんな自分を愛おしく思えるとき。他人を許せなくても、自分が自分を許せないなら誰が許すだろう。自分を許せなきゃ、他人を許すのは難しい。自分を許さずに他人を許すなんて、ただの格好つけだ。
人の不幸を笑う奴もいるが、幸せでもイチャもんを付ける奴はいる。人としては最低だが、彼らにとっては激辛スナック菓子でも食べているような感覚だ。辛さを感じるのは味覚ではなく、痛覚だから。人の痛みを好んで食べているようなものだ。真の変態だと思う。そして、世間は変態だらけだ。
一方で、こうした真の変態にならざるをえない場面が、人生にはあるのかもしれない。赤の他人の痛みに期せずして触れてしまうとき、それをどのように受けとめるべきかということだ。同情?慰め?嘲笑?それとも沈黙?いずれにせよ、触れてしまった痛みがどう響くかで、対応の仕方が変わるのだろう。
痛覚と対応
痛覚・身体性・情動の認知
コメント