テロメアは遺伝子のほつれです。螺旋の端です。私の思想はこの端がなく、閉じているのでしょう。テロメアは老化という変化に関係するそうですが、私の思想は如何なる変化も受け入れないのかもしれません。しかしながら、それこそが思想の未完成性かもしれない。
テロメアのごとく、端を許容する。それは未完成であると同時に、何かを組み上げる余地を残します。私が行動するとき、周囲から見ると往々にして、秘密主義であり、何を考えているのかわからないと言われます。一見して場当たり的なのです。しかし、事後的に見ると計画的に思えることがあるようです。
これはたんなる偶然ではないのです。私が行動できるとき、それは無計画でも秘密主義でもありません。ただテロメアの端のように未完成性や余白のようなものをあえて残すのです。そして行動するときにテロメアの端を組み上げる。これが場当たり的に見えながら、計画性があるように見える原因だと思います。私は組み上げられるように行動するきらいがあります。
ですが、これを意識的に、計画的にすることは、ほとんどできません。これが欠点なのか。または許容すべき難点なのか。難点なら仕方ないかもわかりませんが、欠点なら克服するべきでしょう。許容して別の補佐的方法論を身につけるか。あるいは克服すべきなのか。
テロメア的思想について
余白・抽象
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