普遍と固有

存在・認識・倫理の基礎論

生きる上であらゆることを乗り越えていくことは、普遍的価値の一つだろう。普遍的価値というものを厳密に求めるほど、むしろそれは唯一のものにも思える。普遍的価値を厳密に詳細に求めると、固有のものになる気がしてならない。例えば故きをたずねて新しきを知るとは、懐かしさを乗り越えようとする営みの一つのように思える。これは過去に学ぶことで新たな気づきを得たり、物事の因果を学んだりというような意味で使われるが、いったいなぜ過去に学ぶのか。それはそこに懐かしさがあるからではないだろうか。懐かしさとはなんだろう。良かった時の頃か、悪かった時の頃か。どちらもあり得るのではないか。あの時は良かったという懐かしさもあるし、あの時は辛かったという懐かしさもある。いずれにせよ、それは今ではない、慣れ親しんだ環境のことを指すのではないだろうか。慣れ親しんだ環境をなぜ懐かしむのか。それが良かった環境なら、今は比較して悪い環境だろうし、悪かった環境なら、今は比較して良い環境のはずだ。いずれにしても、今とは異なる、過去の慣れ親しんだ環境に懐かしさを感じるのではないだろうか。
自らの周囲の環境に変化を感じた時に、あの時はああだった、こうだったと過去を遡る。それには何らかの懐かしさを伴い、それが過去を遡る原動力になっている。その原動力を用いることで、そこに因果を見出すことができるのではないだろうか。因果とは何かと何かの関係であるといえるが、価値は何かに対する何かとの関係であるともいえる。お金の価値にしても、宝石の価値にしても、そこに価値を見出す者がいなければ、価値はない。これは物の考え方や見方を示す価値観にしてもそうではないか。価値観というものが物の考え方や見方を指すとすれば、それは何かに対する何かとの関係であるといってよい。普遍的価値とは、それがあるとすれば、誰に対しても同様の関係を持つ。そのようなことがはたして、そんなにありえることなのだろうか。僕自身は普遍的価値というものがないとは言わない。しかしながら、それがあるとするならば、最初に書いたように、生きる上であらゆることを乗り越えていくこと、これに尽きると思っている。そしてその方法は多様であるし、そうあってよいし、そういうものだと思う。生きる上であらゆることを乗り越えていくこと、これが唯一の普遍的価値であり、その方法は個々に多様だ。だからこそ、それを厳密に詳細に求めるほど、固有のものであるように思えてならない。

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