死後に作品が評価される作家がいることについて、考えてみた。絵でも文章でも曲でもいい。生み出された作品は、それ自体として完結しているだろうか。いかなる作品も鑑賞する者がいることにおいて、作品として発展する。作品に触れた者が何かを感じとる。新たな何かが生まれる。
一方で作品はそれ自体として完結しているから、評価できる。この矛盾がどこから来るかと言えば、誰がその作品を発展させるのか、から生じる。前者は鑑賞する側からの発展であり、後者は作者側からの発展の無さを示す。
つまり、生前に作品が評価されず、死後に評価されたのは、作者が死ぬことによって作品が完結したとみなされたから、ということである。作者が生きている間は、作品が未完または発展可能性があり、作者の死をもってでしか、評価されえなかったのではないだろうか、ということだ。
たとえばゴッホのように、なぜ彼は死んだ途端に評価されたのか。それは作品と作者が密接に繋がっており、端的に言うと、作者に社会的信頼がなかったから、となる。これからの作者の動向によっては評価したくてもできず、その死を持って種々の懸念が消えたからということだ。
またこの社会的信用が必ずしも典型的な善人を指すわけではない。このことはたとえば、ピカソを例に挙げられる。社会的信用とは、「この人はこういう人だ」という社会的合意が形成されていて、それが根底にあるということだ。
