文体について

知性・教育・批評・情報社会批評

文体が男性的または女性的ということができる、またはどうしてもそのように記述から印象を受けてしまうことがある。僕の個人的な意見として、文体とは文の繋がり方そのものだと思っている。端的に言えば、文章における個々の要素の繋がり方が直線的か、または曲線的かということだ。

直線的であれば男性的で、曲線的であれば女性的というのもどこか、ともすれば短絡的なようにも聞こえるし、そもそも直線的、曲線的な文の繋がり方とは何なのか。文体が直線的である時、文はある一方向性を持って明確に前進していく。しかしそれが男性的というのは、偏見を伴うかもしれない。

曲線的な文体という印象を受ける時、それは文章の個々の要素の繋がりが余白を持って進行し、また有機的な繋がり方を見せる。これがなぜ女性的という印象を受けるのかはよくわからないが、もしかしたら繋がり方にある余白がある種の共感や、またはその受容を可能にするからかもしれない。

多くの世に出ている文章の文体は、男性的である印象を受ける。明確であれば出版社としては読者層を絞りやすく、マーケティングもしやすい。女性的な文体も出ていると思うが、ここで具体例として挙げられるほど、自分の記憶に残っていない。だが、これは自分の読書量に起因するかもしれない。