私は生まれつき不思議な力を持っている。テレパシーだ。物理的な手段を介さずとも相手にメッセージを伝えることができる。そのような力を本当に持つ者は、世界広しといえども私だけだと思っていた。一方で、世界は結構狭い。狭いが、複雑だ。いや、狭いからこそ、複雑にならざるをえないのかもしれない。私がその場に居合わせたのはまったくの偶然だった。だが、その珍妙な会話を聞いたのは必然だったようにも思えてならない。あるバーで一人で酒を飲んでいたときのことだ。私の後ろで二人の男が酒を飲み交わしていた。一人は淡々とテキーラを飲んでいた。もう何杯目かわからない。もう一人は大きな声で饒舌だったが、酒に手を付けてはいなかった。
「それで俺は言ってやったんだ。他の男と寝たって、いったい何人と寝たんだ?ってな。そしたら一人か二人だっていうんだよ。俺だったらやけくそで五人くらいとは寝てるね。」
「お前、それどういうことかわかって言っているのか?」男はテキーラを注いでいた手を止めた。キャップを目深く被り、顔はほとんど見えなかった。
「ああ、うん。もう別の恋やら愛やらがあるってことだろ?」饒舌だった男もグラスに手を付け始めた。かけている眼鏡が著しく曇っているように見えた。
「まあ、とりあえずこれでも飲んでろよ。」キャップの男は眼鏡の男のグラスにテキーラを注いだ。その手つきはいささか乱暴だった。
「自業自得だって言うんだろ?でも、俺達は付き合っているわけじゃなかったんだぜ。ただの友達以下の付き合いだったんだ。相手の気持ちだって、別に俺は伝えられたわけじゃない。今だってそうさ。」
「まあ、お前らの関係が複雑だったってのはわかるけどさ。」
「その通りだ。だいたい変なルールとか、敵が多すぎるんだ。ちょっと言葉を交わすたびに茶々を入れる奴とか。連絡先は交換できないとか。これって俺は距離を取られてるんだって思うのが普通じゃないか?」
「まあ、連絡先はそうだろうが、茶々を入れる奴がその女の仲間とは限らないだろう?」
「うん、それでも直接連絡が取れない時点で避けられている、って思うのが普通じゃないか?しかも、話しかけても無視なんだぜ。これで俺からアプローチしろってのは変じゃないか?嫌われているって思うのが普通だろ?俺がほかの女とちょっとチョメチョメしたからって、いったい何の文句があるっていうんだ?」
「まあ、そういうことなんだろう。それでいいじゃないか。」
「でも、俺には怒りの目を向けるんだよ。直接話すことを避けておいてさ。別に俺は彼女と深い関わりがあったわけでもなかったんだぜ。」
「まあ、同じ空間にいるってだけで、なかなか難しいよな。完全に避けるのはな。それに何に怒っているのかもよくわからないしな。」
「うん、それも、よくわからないんだ。そもそもなんで俺達、互いに気持ちが向いている、なんて思うことがあったんだ?」
「不思議だよな。テレパシーか何かじゃないか?」
「ああ、うん。そうだな。テレパシーだな。テレパシーでしかやり取りできないなら、どうしようもないな。俺はテレパシーで相手の気持ちなんてわからないからな。」
衝撃だった。テレパシー!!私以外にも使える者がいるのだろうか?相手の気持ちはわからなくても、メッセージを送ることはできるという意味にも聞こえる。それは非常に私と似通っていた。テレパシー的なやり取りでしか成立しない関係の複雑さとやるせなさを、私は痛いほど知っていた。耳を澄ませて会話の続きを聞こうとしたが、周囲の雑多な音以外、何も聞こえてこなくなった。酔いつぶれたのだろうか。
私は後ろを振り返った。その二人はすでに立ち去っていた。テーブルの上に乱暴に置かれた横向きのグラスと、テキーラに満たされたままのグラスを残して。

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