高度に発達した情報社会において、多種多様な発信や行動が行われている。それらは複雑に錯綜し、あらゆる方法で整理されたり、混乱を招いたりする。混乱は物事を推し進める上で障害になることが多いが、整理されれば都合良く事が運ぶのかといえば、そうとは限らない。整理とは文字通り「理を整えること」と言えるが、そうして整えられた理は、それを為した者にとって都合の良いものになる可能性を常に孕んでいる。混乱の状態と整理された状態では、前者では理を整える可能性があり、後者では整えられた理の中で安定を得ることができる。物事の理とは、その物事がどのような因果で成立しているのかを説明するだけでなく、その説明が関わる者の生存をも成立させるものであるべきだろう。そうだとすれば、あらゆる発信や行動が錯綜する情報社会における理とは、どのように成立するのだろうか。それはつまり、情報社会において関わる者の生存を成立させるだけでなく、いかに成立し、関わっているのかを包括的に説明する理である。情報社会以前においては、このような理は各々の限定された集団社会の中で、各々が有していたものだろう。情報社会は各々の集団社会の壁を越えて、多種多様な理によって育まれたものの交流を促進し、混乱を生んだり、新たな理を生んだりした。それは情報技術によって壊された壁が、理を維持することに必要であり、理がより限られた対象において成立するからではないか。ところで、整理された状態とそれ以前では何が異なるのだろうか。整理とは理を整えることであり、関わるものの因果を説明し、その生存を成立させることだとすれば、説明できさえすればよいのか。もちろん、説明によって状態が整理されることはある。そのことによって何が良いのか。それは物事を推し進めることが容易になるからではないか。整理とは状態を説明するだけでなく、今後の行動や発信における方針にも関わることだと言える。だが、整理することにおいて、より限定された状態が好ましいとするならば、情報社会における壁とはいったいどこにあるのだろうか。現代において、より安定した状態を求める上では、この壁の設定をいかに行うかが問われているように思う。これは物理的な壁を一度設定すれば良いというものではない。壁を設定するということは、どこで線引きをするかに関わる問題である。情報社会以前では、主に物理的な壁によって社会的な壁をも構築してきた。あらゆる壁を越える情報技術が存在する社会では、この問題は常に問われ続けるだろう。あらゆる発信や行動において、どこでどのように線を引くのか。情報社会において、この問い方も含めて、常に問うことが求められていると言えるのではないか。これはつまり、いくつかの巨大IT企業が君臨しているものの、個々人があらゆる情報技術を用いて発信や行動ができる限りにおいて、究極的には、あらゆる線引きが個々人に一任されていることと同義であるとも言えるだろう。
現代社会における情報整理とその線引き
知性・教育・批評・情報社会批評
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