屑の変幻自在

考察メモ

私は最低の人間だ。人間の屑である。それはたんなる他者からの評価によるものではなく、そのように感じる場面があったからだ。私は今、これを書くことで、その評価に反論したいのかもしれない。
屑とは単に塵芥のことを指すのではなく、汚物である。塵芥はそれ自体がミクロな構造を持つが、定まったマクロな構造を持つわけではない。変幻自在な形を成せると言っていい。
ところで、人間の身体構造は、その骨格を基本としている。肉のない骨格は、髑髏のような恐怖の象徴である。骨格のない肉は、もっと気味の悪いものだ。人体は、そのようなものの組み合わせでできている。屑と同種のものでできていると言っていい。
ただし、その組み合わせをどう為すのかは、人さまざまだろう。それ単体では気味の悪いものでも、いかに組み合わされるかで、美しくも、醜くもなる。姿勢の矯正や筋肉の鍛錬などに留まらず、いかにその身体を持って行動するのか。
独力で形成する余地には限界があるものの、それを超えていこうとするのが人間である。「人間の屑」という言葉は、肉体がどうあるのかというよりも、それを持って他者とどう関わるのか、ということに用いられる。
部屋で引きこもっていても、他者との関わりがないこと自体が、良い印象を与えることは少ない。一方で、他者との関わりの無さが、必ずしも「屑である」と断じるに充分であるわけではない。
他者との関わりがあっても、むしろ酷い関わり方をしているからこそ、そのように断じられることも多い。つまり、「屑である」かどうかを論じるには、他者の存在や不在を媒介としなければならない。
あらためて、私は最低の人間ではないのか。屑なのかもしれない。そうだと断じるには、他者の媒介が必要だと述べたからである。今この瞬間、誰かとともにこの文章を書いているわけではない。
一人で書いており、独断である。このことは、先述したことと矛盾している。また、塵芥が変幻自在だと述べた一方で、人間形成における独力の介在する余地に、限界があるとも述べている。
しかし、屑の変幻自在とは、まさにこの独断力によるものである。「屑である」と断じられるその時に、他者の存在や不在があったとして、それらと組み合い、限界と向き合いながらも、そこでいかに立つのかが問われているのだ。

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