ナルシストとは言い換えれば、自己愛の塊です。それはただのカッコつけのことではありません。自己愛の塊とは、自分を大切に、大事にすることでも、しすぎることでもありません。言うなれば、それは拘りまたは執着の塊です。
ただの執着ではなくて、周囲の認識とズレた執着のことです。ズレた執着は周囲の認識から自分だけを浮かせ、自己愛の塊として表出します。
自己愛とは一貫した姿勢の不在です。一貫した姿勢の不在は他者からの共感を非常に難しくします。共感の足掛かりとなる手がかりが見えないからです。しかし、たとえ共感の足掛かりを見つけるのが難しくても、一貫した姿勢があるとき、それは信念となります。
自己愛と信念は自分だけで完結して表れるものではありません。自分以外の者がその一貫した姿勢をどう見るか?その姿勢がどこを向いているのか?
自己愛と信念の違いは紙一重です。先述のように共感の足掛かりを見つけられるかどうかの違いと言えますが、信念にも危うさはあります。信念の内容だけでなく、自らの姿勢の在り方が閉鎖的か、または開放的かによっても異なるでしょう。開放的であれば、共感の手がかりは見つけやすそうに思えます。
ここで重要なのは、手がかりがあるかどうかではなくて、自分以外の者が見つけられるかどうかです。見つけやすければ共感を得やすく、見つけにくければ共感は当然、得にくいです。
たとえばあるアーティストが自分の信念に基づいて活動しているとき、その者のファンにとってそれは信念の形であり、それ以外の者にとってはただのエゴイストに映るでしょう。
自己愛と信念の形の違いには、他者とどのような関係を築いているのかが如実に表れるということです。

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